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われわれの住む世界について歪曲せずに画像を描くことは不可能である。
文字通りの意味でも、世界の視覚的映像を形成する場合、われわれの視神経が神経系統につながる部分に盲点ができることになる。
われわれの脳で作られる映像は外部世界を驚くほどうまく再現する。
盲点についても、実際には盲点で覆われる部分になにがあるかは見ることはできないが、画像の他の部分から外挿することによってそれを埋めることができる。
これはわれわれの直面する問題の比職として受け取ることもできる。
しかし、私がこの問題を説明するのに比職に頼るという事実は、さらに強力な比職こし)もできる。
われわれの住む世界はきわめて複雑である。
決定の基礎となりうる世界像を形成するには、われわれは単純化しなければならない。
一般化、比職、類推、比較、一分法、その他の知的概念を利用することは、さもなければ混乱している世界になんらかの秩序をもたらすのに役立つだろう。
しかし、すべての知的概念はそれが意味するものをある程度ゆがめ、このような歪曲はいずれもわれわれが理解する必要のある世界になにかをつけ加える。
われわれが考えれば考えるほど、それだけわれわれが考えなければならないことが増えるのである。
その理由は現実が所与のものではないということにある。
それは参加者の思考と同じ過程で形成される。
思考が複雑になればなるほど、現実もそれだけ複雑になるのである。
思考は現実に完全に追い付くことはできない。
現実はつねにわれわれの理解よりも豊富なのである。
現実は思考を驚かす力を備えており、思考は現実を創造する力をもっているのである。
それはそれとして、私は現実を分解しようとする人々にほとんど共感をもたない。
現実は特異であり、特異な重要性を備えている。
それは参加者の見解や信仰に還元したり、分解したりすることはできない。
人々が考えることと実際に起こることとの間には必ず不一致があるからである。
この不一致は、普遍的に有効な一般化にもとづく事件の予想の裏をかくのと同様に、事件を参加者の見解に還元することを妨げる。
たとえ予測不可能かつ説明不可能であっても、現実は厳として存在する。
これを受け入れるのは困難かもしれないが、それを否定するのはむだであり、危険極まりないことである。
これはそれを試みた金融市場の参加者ならだれもが証言するところである。
市場は人々の主観的予想をめったに満足させない。
しかし市場の結論は現実であり、苦悩や損失をもたらすに十分であり、しかもそれを不満だとして上訴するわけにはいかない。
現実は存在する。
だが現実が本来的に不完全な人間の思考を包含するという事実は、説明と予測を論理的に不可能にする。
私が子供の頃住んでいた家には、一枚の鏡が向かい合って付いているエレベーターがあった。
私は毎日鏡をのぞき込んで、無数に映る自分の姿をみていた。
それは無限のようだったが、実際にはそうではなかった。
この体験は私にいつまでも残る印象を与えた。
思考する参加者の前にある世界は、私がエレベーターの一枚の鏡で見たものに大いに似ている。
思考する参加者は自分たちが見るものになんらかの説明可能なパターンを当てはめなければならない。
相互作用的過程は、こちらが故意に終わらせなければ、終わらないだろう。
それを終わりにする最も効果的な方法は、ひとつのパターンを決めて、実際の像が後方へ後退してしまうまで、それを強調することである。
そこに現れるパターンは基調をなす感覚的知覚とは大きくかけ離れているかもしれないが、それは理解可能で明確であるという大きな魅力がある。
宗教やドグマ的な政治的イデオロギーに多大の魅力があるのはこのためである。
ここは思考がさまざまな形で現実をゆがめたり、変えたりする問題を取り上げる場所ではない。
私が複雑で混乱した現実をなんとか理解しようと試みた方法は、自分自身の誤謬性を認識することだった。
私はポパーを読んでからはもちろんのこと、生涯の大部分を通じて、このような洞察にもとづく批判的態度をとつてきた。
そしてこのことは金融市場における私の職業的成功にとつて絶対的な基礎となった。
この批判姿勢がいかに普通とは違ったものであるかという点に気付いたのは最近のことである。
他の人々が私の考え方に驚きを示したことに私は驚いた。
本書になにか独創的な主張があるとすれば、それはこの問題に関してである。
誤謬性にはふたつの解釈がある。
ひとつは、より穏健で、より実証的な「公式の」解釈であり、相互作用的な概念を伴い、批判的な思考様式と開かれた社会を正当化するものである。
もうひとつは、より急進的で特異な解釈であり、生涯を通じて実際に私を導いてきたものである。
公的で、穏健な解釈はすでに取り上げた。
誤謬性とは、参加者の思考と事態の実際の状況との間における不一致を意味する。
そのために行動には意図しない結果が伴うことになる。
事件は必ず予想を外れるというわけではないが、そのようになりがちである。
予想した通りに運ぶ平凡な日常的な事件はたくさんあるが、このような事件が予想を外れた場合は興味が増す。
それは人々の世界に対する見解を変え、相互作用的過程を引き起こし、その結果、参加者の見解も、事態の実際の状況も、影響を受けないわけにはいかなくなるかもしれない。
誤謬性という語にはマイナスの響きがあるが、大いに鼓舞されるようなプラスの側面もある。
不完全なものは改善することができる。
われわれの理解が本来的に不完全だという事実は、われわれが学んで理解を改善することが可能だということを意味する。
必要なのは、われわれの誤謬性を認めることだけである。
それによって批判的な思考への道が開かれる。
そしてわれわれの現実理解がどこまで到達できるかという点に関しては、限界はないのである。
われわれの思考においてだけでなく、われわれの社会においても、改善の余地は無限なのである。
われわれは完壁を期することはできない。
われわれがどのような計画を選択したとしても、それは不完全である。
それゆえ、われわれは次善のもので満足しなければならない。
完壁ではないが改善の道が開かれている社会組織形態がそれである。
それが開かれた社会(オープン・ソサエティ)の概念である。
すなわち改善に対して開放(オープン)された社会(ソサエティ)である。
この概念はわれわれの誤謬性の認識にもとづくものである。
これについては後でさらに検討するが、ここではまず、より急進的で、特異な誤謬性解釈について説明する。
ここで趣向を変え、誤謬性を一般的な問題として述べるのではなく、それが私個人にとつてどのような意味をもつかを説明してみたい。
それは私の世界観の基礎であるだけでなく、私の行動の基礎でもある。
それは私の歴史理論の基礎であり、金融市場参加者としても、慈善事業家としても、私の行動はそれによって導かれてきた。
私の考え方になにか独創的なものがあるとすれば、誤謬性についての私の急進的な解釈である。
私は誤謬性に対して、これまで展開してきた議論によって正当化される以上に厳しい見方をとつている。
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